ここでは、チョコレートについて記載していこうと思います。チョコレートは発酵、焙煎、粉砕を経たカカオの実から作られます。
HOME>チョコレートチョコレートは、紀元前古代メキシコにて誕生しました。チョコレートは当初、食べるものではなく、飲むものでした。アメリカ先住民族はカカオの粉末を磨り潰したものを入れた液体にバニラや唐辛子を混ぜて飲んでいました。古代メキシコではカカオは「神様の食べ物」といわれ、お金の代わりになるほど大変高価なものでした。カカオ豆がヨーロッパに伝わったのは、1502年コロンブスはホンジュラス付近を航行中にマヤ人の交易商人と会い、交易品のなかにカカオ豆を見ました。そして、スペイン・アラゴンの王フェルディナンドII世に献上しています。チョコレート(カカオ)全世界に広まるきっかけとなったのは、メキシコに遠征したスペインのフェルナンド・コルテス将軍がアステカ帝国を征服し、メキシコからカカオを持ち帰ったことで、スペインからヨーロッパ全土に広まりました。ココアの始まりは、1828年にはオランダのクーンラート・ヨハネス・ファン・ハウテンが脂肪分の低い新しいパウダーチョコレートを作りました。これが、現在のココアです。食べるチョコレートの始まりは、1847年イギリス人のジョセフ・フライは、カカオ豆をすり潰して砂糖を加えたものにココアバターを加えて、今のチョコレートの原形を発明しました。 これが、「食べるチョコレート」の始まりです。
メキシコで生まれ、ヨーロッパで成長したチョコレートが日本に初めて伝わったのは18世紀末頃といわれています。チョコレートが、日本で初めて販売されたのは1877年(明治10年)頃です。東京の風月堂、米津松蔵が、ヨーロッパの菓子職人を雇ってチョコレートの製造を始めました。
チョコレートの原料であるカカオ豆にはカルシウム、鉄分、マグネシウム、亜鉛などのミネラルがバランスよく含まれています。赤ワインやお茶などと並んでカカオにも豊富なポリフェノールが含まれており、すぐれた抗酸化効果を期待できます。
ポリフェノールの抗酸化作用
ここでは、チョコレート専門店として有名なお店を羅列していきます。
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされます。当時、ローマでは、2月14日は女神・ユノの祝日でした。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神です。ローマでは2月15日にルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためにルペルカーリアという祭が何百年ものあいだ行われていました。毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、あたった娘と祭の間、時には1年間も付き合いをするというものです。翌年になると、また同じようにくじ引きをします。ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれている。キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑されたとされます。それが西暦279年2月14日の出来事です。
現在のバレンタインデー、女性が男性にチョコレートを上げる風習ができたのは、神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説は、東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに同社が広告を掲載したことを重視するものです。「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を出しました。ーチョコレートカムパニー説は、同社が1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったことを重視する説です。 また森永製菓が1960年より「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出し、さらに伊勢丹が1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説があります。
いずれにしろ、バレンタインデーに女性が男性にチョコレートをあげる風習を作ったのは、商業目的なのです。この風習は日本独自のものです。